
親の教えや学校での勉強、その土地の慣習、道徳教育、社会現象などは学ばなければなりませんが、人生を価値あるものとして全うしていくのには、人間の内面を知ることで、将来の生き方が大きく変わってきます。
人は生まれて、死ぬまでの一生を、どのように考え、行動をしていけばいいのかを、学び、習得して、知恵として、活かしていかなくてはなりません。
人間は、自分で学ぶことができるまでは、親、知人、先生、社会環境、テレビ、書物などからの影響で、人間形成ができていきます。
一番の影響は両親の言葉、態度、行動が、知らず知らずのうちに人格を形成しているのです。
幼児園、幼稚園、学校と誰でもが同じように教育を受けていくのですが、学校の教育は計算、読み書き、記憶、応用など覚えることで成績の基準になります。
あの子は頭が良いというのは、記憶力に優れているからテストの点数が高い、すなわち頭がいいとなるのです。
しかし社会に出て、いかに生きていくかという課題となれば、成績がいいとかよくないというという事ではなくて、どうすれば自分の人生を創りあげていけるのかが大事なことであります。
学力、学歴は他者からの判断材料にはなりますが、本当に大事なのは、いかに将来を考えているかで大きな違いが出てしまうのです。
それは生きるという事は、自分自身が確固たる目標、願望を明確に描く、そして必ず成し得ると宣言をするのです。
なんとなく毎日を過している、勉強といっても学校だけでは心配だと思って、学習塾に通い、多くのことを学び記憶していく、これが学生時代の勉強です。

成績が良ければ、国立大学にもいけるでしょう。いい大学を出れば、就職もいい会社、公務員になって出世も出来るので成績が良いという事は大事です。
しかし、ただ成績がいいということだけでは長い人生を乗り越えていくことはできないのです。
それは父親が理容という職業で生計を立てていましたから、生まれて中学校を卒業するまでは、床屋という枠の中でしか世の中が見えていませんでした。
就職を選ぶのも、理容師になるという判断しかなくて、理容学校の試験を受けに行ったのですが、試験当日に願書が届いていないという事で、試験は不合格になってしまいました。
中学を卒業して、一旦は名古屋の理容店に就職しましたが、そこでのお店の仕事、従業員の会話などを聞いていますと、このまま修行をしてもいいことはないなと判断をして、翌年にもう一度同じ理容学校の試験を受けようと思い、試験を受けました。
学校は愛知県三河一宮にある宝飯総合訓練所の理容科です。
学校は寮生活でした。一年遅れで入学したため皆より一年先輩になります。後期は組長をやりました。
家に帰って、父親と兄と兄嫁と四人で瑞浪市陶町という所の理容店で働いていましたが、実家での仕事は基礎ができていないことに納得がいかず、名古屋の日技会(齋藤会)の講習会を受けに毎月出かけて行っていました。
自宅では理容技術雑誌、理容文化の中で鯨井江つ先生のウェーブ設計学を学んでいました。
講習会、自宅での勉強では物足りなさを感じていましたから、鯨井先生のお店での仕事ぶりが見たいと手紙を出しましたところ、快く、見に来てもよいという事でしたので、毎月二回程を一年半名古屋のお店に通い、消毒室から仕事、接客、設備などを見ていました。
東京の中央高等理容学校の師範科の師範講習を一か月受けて、師範の資格を得ました。
家に帰り鯨井ウェーブ専研講習会を一年受けて、一級の資格も得ました。
名古屋のクジライというお店は、鯨井江つ先生は中央理容学校の講師、社長の鯨井高信先生は日技会の講師で五十年前に二十人ぐらいの従業員が学んでいました。
社長は事業拡大を目指して、私は父の反対を押し切ってクジライに入店しました。
私は技術の向上を目的に入店をしましたが、半年後に支店長を命じられて、桶屋町の店長を三か月務めていた時に、父親から、お前は騙されていると言われて、急遽、家に帰るように言われ、家に帰ることにしました。

クジライに対しては店長になったばかりで、大変申し分けないという気持ちでおりましたが、この時の決断が今から思えば、いい判断だったと思えるのです。
家に帰り、青年団に入団をして、青年団活動の上高地、乗鞍のキャンプで現在の家内とお付き合いをして結婚しました。
これも名古屋にいれば出会いはありませんでした。
私の一番の友である鈴木君も、理容学校が最初の年に合格していましたら、出会いはありませんでした。
人間万事塞翁の如しという諺のように、人生は何が幸いで何が災いを起こしているのかは、神のみ知るという事です。
ここからが、私が人生の生き方が分からずに、悩んだ挙句、相談に乗っていただいたのが、モラロジーの瑞浪の世話人、鈴木鑑造先生から、モラロジーの教えを学び、自然の法則、因果律、義務先行、人間は生かされているなどを学びました。
モラロジーの教えを学んでいると、人間には潜在意識があり、人間の行動、幸不幸、成功失敗の分かれ道は、潜在意識がどのように判断をしているかで決まる。
つまり、願望と目標はどのように考えていても、結果として潜在意識が確固たる信念を持ち続けて、潜在意識で出来ると想いこむと、願いは叶う。
ただ何となく想っていても、どこかで難しい、無理だ、出来ないという想いが強いと、ただの願望で終わってしまいます。
それからは成功哲学の書物、眠りながら成功する、思考は現実化する、ナポレオンヒルの成功哲学、カーネギーの成功哲学などの書物を読んでいくうちに、潜在意識はアルファー波の状態で心に刻むという事が分かり、自己催眠の書物などで、自己催眠の状態がアルファー波の脳波になることを知り、自己催眠の体感できるようにしていきました。
理容の技術も上達して、店は多くのお客さんに恵まれ繁盛をして、瑞浪では人気店でした。
二十四歳で今の家内と結婚をして、住まいは八畳一間の古い建物での出発でした。
薄給のため子供三人を育てるには大変でした。
私は今のままでは駄目だと思い、考えたことはバーバーショップで化粧品を売ろうと、ケースを買いか商品を並べていましたら、当時は良く売れました。
結婚して、消防団に入り七年間勤めましたが、四十七年には集中豪雨で流されたこともありました。
生活が苦しい中で、クジライの社長がかつらの販売を理容師の手でというスローガンで、日本整髪科学研究会という組織を立ち上げ、かつらの普及にしていくことを知り、鯨井を一年足らずに辞めてしまったのに、心苦しかったのですが、日整会の会員になりました。
私が考えていたのは、これからはかつらを取り扱わなくてはいけないと思い、広告、チラシ、理美容店に紹介依頼などをして、着実に売り上げを伸ばしていきました。
昭和四十八年には、大川という所に新築することができました。
日整会では愛知県本部百三十人の会員の総務部長として、講習会の開催、総会の段取りなど、当時はガリ版で案内状など作成して配布していました。

私の人生は、理容という仕事に就いて、理容一筋で生活をしてきましたが、理容を選んで良かったなと思っています。
それは学歴とか、知能に左右されないし、会社の中のような人間関係も影響をうけませんから、自分の思っていることを行動に活かしていけるからです。
平成三年三月に突然の高熱で、物凄い体験をして、三か月の入院生活が私の人生観を目覚めさせてくれました。
この体験は『高熱による不思議な体験が人生を変えた』というタイトルで文芸社から出版されることになっています。
来年の3月ごろの予定です。
私が孫に伝えたいことは、自分の人生は学力、学歴、会社、社会、人間関係などで失敗しないために、人生は自分で創りあげていくものだ、そのためには何を知り、どのように活かしていくかを学ぶのです。
私は理容師ですから理容という仕事の考え方、捉え方から話していきたいと思っております。






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